おかみ's EYE|京都伏見の旅館ブログ|桃山温泉 月見館
方除けの神様「城南宮」
2008 / 05 / 31 ( Sat )
月見館から車で約10分ぐらいの所にある方除けの神様「城南宮」へ行ってきました。
城南宮鳥居_512

この鳥居、ちょっと変ってると思いませんか?
鳥居の上が瓦葺なことと鳥居の中央に神社の名が刻まれた扁額の代わりに城南宮の紋である「三光」のもんが打ってあること。
城南宮紋_512


今日は、「城南宮」に御祈祷をしてもらいに行きました。
6月2日からリニューアルオープンに向け改装工事にとりかかる予定です。
御祈祷してもらって工事の安全を祈って来ました。
方除けのお砂も頂いてきました。

城南宮さんのお庭の赤松が雨に濡れていきいきしてました。
城南宮赤松_512


城南宮松_512

いつ行ってもお庭のお手入れが行き届いています。
でも、今日は時期的に咲いているお花が少なく残念でした。



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16:56:33 | 神社 | page top↑
小梅収穫しました
2008 / 05 / 29 ( Thu )
月見館の梅林の事は以前にも書きましたが
今日、今年初めての小梅がとれました。
小梅_512

昨日の雨の前にとればもう少しとれたのですが、雨でたくさん梅が落ちてしまったので今日は、20kgほどでした。
この小梅は、八百屋さんに売っている小梅より少し大きめです。
小梅 (2)_512

とても香りが良く、皮が柔らかい小梅です。
梅を洗って、小梅のおへそ(軸)をとります。
小梅は、20kgといっても個数がたくさんなので気が遠くなりそうです。
折角、実ってくれたのですからガンバリます。


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18:44:37 | 旅館のこと | page top↑
厄除け観音 「粉河寺」
2008 / 05 / 28 ( Wed )
今日は、京都を飛び出して、西国三十三か所の和歌山県の「粉河寺」へ行ってきました。
和歌山県北部を流れる紀の川中流の北岸に770年大伴孔子古(おおとものくじこ)によって開創されたお寺です。
鎌倉時代には、七堂伽藍、塔頭550、東西南北4キロの広大な境内を誇る寺院でしたが、1585年、豊臣秀吉の兵乱により、そのほとんどが焼失してしまいました。
その後、徳川時代に中期に現在の諸堂が整いました。
重要文化財の大門(江戸時代)
粉河寺山門_512

京都のお寺の山門とちょっと雰囲気が違います。大門をくぐりカギのてに」いくと中門があらわれます。
粉河寺中門_512

四天王が祀られています。
四天王_512

大門からこの中門までの間でも五つもありました。
本堂も西国三十三か所のなかでも一番大きい建物だそうです。
粉河寺本堂_512

770年の創建以来、何度も造営を繰り返し現在の本堂は1720年のもので
江戸時代中期の欅材による代表的な建築だそうです。
この本堂を見たとききれいだなあと思ったのは、二重屋根のところです。
粉河寺本堂 (2)_512

他に類例を見ない特異な形態だそうで一重屋根の礼堂と二重屋根の正堂とが結合した「複合仏堂」というそうです。
本堂も変わっているのですがお庭も変わっています。
桃山時代の枯山水の石庭ですが、日本庭園の中でも先例がない様式らしいです。
粉河寺庭_512

それと力強いエネルギーを感じたのがクスノキの大木。
楠_512

近くによると
楠 (2)_512

樹齢1000年以上というこのクスノキが歴史の全てをみてきたのでしょうね。
一体、何を見てきたのでしょう?

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21:47:39 | 寺院 | page top↑
二言と言わず「一言寺」かな
2008 / 05 / 27 ( Tue )
真言宗醍醐派のお寺「一言寺」さんへいってきました。
醍醐の住宅地の山手にあります。
一言寺_512

石段を登ってさんもんを潜ると1810年に再建された江戸時代を代表する本堂が現れます。
一言寺本堂_512

一言寺 (2)_512

秘仏の千手観音菩薩様は、霊験あらたかで願い事があれば、たちどころに聞いてくださるというので地元では大変親しみのあるお寺です。
それを表すものに本堂の軒にかかっている絵馬があります。
「ただたのめ 仏はうそはなきものぞ 二言といわず一言寺かな」の句は、とても有名です。
一言寺絵馬 (2)_512

この額は、願いがかなえられた人のお礼のしるしにかかげられたものだそうです。
他にも
一言寺絵馬_512

また、京都市指定天然記念物の山桃の木も生命力を感じさせてくれます。 
山桃_512

33年に一度、秘仏が御開帳されるのでその時、御本尊の千手観音菩薩様を拝みたいと思いました。


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23:00:40 | 未分類 | page top↑
最古の腹帯地蔵尊「善願寺」
2008 / 05 / 26 ( Mon )
きれいな大きなお地蔵さん見てきました。
それと樹齢約1000年の榧(かや)の木に直接、不動明王が掘ってあるのです。
撮影禁止なので絵はがきから。
腹帯地蔵_512

月見館から車で20分ぐらいのところ、醍醐寺のすぐ近くの「善願寺」さんへいってきました。
このお寺は「腹帯地蔵」で有名です。安産にご利益があると伝えられ、お地蔵様が腹帯をしておられるところから「腹帯地蔵」と言われています。
平安時代後期の定朝様の秀作と言われています。
檜材の寄木造りで約3メートルの大きなお地蔵様です。
平 清盛の五男の夫人の安産を祈願して造立したと伝わっています。
地蔵尊でこれだけ大きな仏様は珍しく、御姿のきれいさと格調高いまなざしは、他に類がないと言われています。
また、善願寺の見どころの中に、生木の榧の木に彫られた不動明王様があります。
不動明王の迫力もさることながら、榧の木の直径1メートルほどの太さに驚かされます。

本堂の天井絵も素晴らしいです。
天井絵_512

中央の1作品を除いて岸派主流の画家や弟子たちの作品です。
中央の1枚は、松村景文の作品です。
松村景文_512

繊細な絵が「腹帯地蔵」とよくマッチしていると思いました。

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22:33:23 | 寺院 | page top↑
北朝第二天皇 「大光明寺陵」
2008 / 05 / 25 ( Sun )
伏見は明治天皇陵や桓武天皇陵をはじめとしてたくさんの御陵があちらこちらにあります。
月見館から徒歩10分ぐらいのところに小さな陵があります。
光明寺陵_512


室町時代のはじめ、このあたり一帯に北朝の皇族の御願寺として七堂伽藍を完備した大光明寺というお寺があったそうです。
光明寺陵 (2)_512

1352〜1355年、後伏見天皇の皇后の発願で建立された臨済禅宗のお寺です。
後伏見天皇の第二皇子である光明天皇、それから光明天皇の甥にあたる崇高天皇は、落髪して仏門に入いりました。
その後、1401年にこのお寺は失火により、七堂伽藍のお寺は、灰となり荒廃の一途をたどりましたが、伏見城築城の際、相国寺に移されることなりました。
大光明寺陵として光明天皇、崇高天皇が眠っておられます。
光明寺陵 (5)_512

光明寺陵 (4)_512

明治44年に南朝が正統とされたため光明天皇、崇高天皇とも歴代天皇から除外されています。
御陵の松はそんな話を知っているのでしょうか?
光明寺陵 (3)_512

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13:33:16 | 寺院 | page top↑
小野小町ゆかりのお寺「随心院」
2008 / 05 / 23 ( Fri )
伝説的な美人で六歌仙の一人、小野小町のゆかりのお寺「随心院」へ行ってきました。念
「随心院」は、真言宗善通寺派の大本山です。
弘法大師の八代目の弟子にあたる、仁海僧正の開基より、991年、一条天皇よりこの地を賜り、一寺を建立しました。
その寺を「曼荼羅寺」と称しました。
総門。
隋心院総門_512

その後、1229年、御堀川天皇より門跡の宣旨をうけ、「随心院門跡」と呼ばれています。
当時は、七堂伽藍を誇っていたそうですが、承久の乱、応仁の乱によりことごとく灰になてしまいました。
現在の建物は、1599年九条二城両宮家により再建されたものです。
薬医門(1624年〜1631年)
隋心院薬医門_512

庫裡(1753年)
隋心院 庫裡_512

ここから拝観します。
本堂。(1599年)
隋心院本堂_512

御本尊 如意輪観世音菩薩坐像をはじめとする、重要文化財の仏様が数々いらっしゃいます。

また、書院では、写仏や写経をすることができます。
「随心院」ゆかりの展示物。
隋心院展示 (2)_512

隋心院展示_512

小野小町の屋敷跡に残る「化粧の井戸」
小町化粧井戸_512

深草少将をはじめ当時の貴公子たちから小町に寄せられた千束の文を埋めたと伝えられる「文塚」
文塚_512

「随心院」はお寺の方が「よう、お参りでした。」とおっしゃいます。
観光名所ではなく「お寺」であるという事を大事にしておられると感じました。
拝観させていただき、見学したのではなくお参りしたという実感がわくお寺でした。
今日は、静かな「随心院」で数々の仏様にお会いして心の安らぐ一時を持つことができました。
今度は、時間を作って写経と写仏をしたいと思います。

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21:09:06 | 寺院 | page top↑
日野のお薬師さん「法界寺」
2008 / 05 / 21 ( Wed )
月見館から車で20分ぐらいのところに「日野のお薬師さん」で親しまれている法界寺がありあます。
日野薬師_512

ここは、平安時代、藤原氏の一族、日野氏の氏寺でした。
今は、住宅地の中に建つお寺ですが、往時には、世の中の乱れを恐れた貴族たちが祈りを捧げた大伽藍が並んでいました。
本堂の薬師堂。(重要文化財)
薬師堂_512

法界寺は、「乳薬師日野法界寺」とも言われています。
その名の通り、授乳にご利益があると伝わっています。
今は、授乳も含めて安産の祈願に訪れる方が多いようです。
須弥壇前には、安産の祈願札の変わりのよだれ掛けで埋め尽くされています。
この奥に秘仏の薬師如来像が祀ってあります。
乳薬師_512

その横に国宝の阿弥陀堂があります。
鎌倉時代の初期の戦乱で焼失し、1226年に再建されました。
阿弥陀堂_512

檜皮葺きの屋根のゆるやかなカーブが美しいです。
こちらに金色に輝く阿弥陀如来坐像と阿弥陀堂内装飾画(国宝)があります。
ふっくらとしたやさしいお顔がすばらしいかったです。

また、法界寺は親鸞聖人誕生の地でもあります。
法界寺から、歩いて2分のところに親鸞聖人の「誕生院」があります。
誕生院_512




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23:59:45 | 寺院 | page top↑
梅林散策
2008 / 05 / 20 ( Tue )
当館の奥まったところにやる梅林を散策してみました。
梅のなり具合を見たかったので。
小梅は、もう少しすれば収穫できそうです。
小梅 (2)_512

小梅_512

大梅のほうは、まだ早いようです。
大きさもこの2倍ぐらい大きくなるので収穫は6月半ばぐらいでしょうか?
梅_512

梅林の横に今年はたくさんの野いちごがなってました。
野いちご (2)_512

小学生の頃、桃山御陵の森の中などに自生する野いちごを取ったりしてみちくさしてたのを思いだします。
その時、食べた野いちごはすごくおいしく感じたけれど、今食べてみるとあの味はどこへ行ったんでしょう。
野いちご_512

外見は、やっぱり懐かしい「いちご」です。



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17:04:40 | 旅館のこと | page top↑
豆ごはん
2008 / 05 / 19 ( Mon )
エンドウ豆が送ってきました。
毎年、とれたばかりのエンドウ豆を農家から直接送ってくださる方がいらっしゃいます。
エンドウ豆_512

京都府の山城の方は、いろんな野菜がとれます。
このエンドウ豆は、豆の皮が柔らかいのが特徴です。
エンドウ豆 (2)_512

ひとつのさやにぎっしりお豆が詰まっています。
エンドウ豆 (3)_512

早速、豆ごはんを土鍋で炊きました。
豆ごはん_512

蓋をあけ時のお豆の香りが素晴らしい。
季節のご飯としてお客様に出したいと思います。

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21:04:36 | 料理 | page top↑
伏見義民祭 (御香宮)
2008 / 05 / 18 ( Sun )
御香宮にて執り行われた、220回目の伏見義民祭に出席してきました。
伏見義民祭 (2)_512

031_512.jpg

伏見義民祭は、天明時代(1781〜88)伏見奉行だった小堀政方(こぼりまさみち)の悪政に対して文殊九助をはじめとする町民7名が幕府に直訴しました。
幕府は、奉行を罷免されましたが、幕府に直訴した為に7名は、獄中に入れられ相次いで病死しまし
た。

7名の子孫や伏見の関係者が集まり、義民祭として7名の義民を偲んでいます。

御香宮の山門をくぐってすぐ左側に「伏見義民の顕彰碑」が建っています。
伏見義民碑_512

明治20年、伏見義民一揆から100年を記念してここに顕彰碑が建てられました。
額文は、三条実美が、本文は勝海舟が自ら筆をとって書いたものです。

今日は、その実際の書が展示されました。
三条実美の直筆の書。
014_512.jpg

額文。
伏見義民祭 (4)_512

勝海舟直筆の書。
勝海舟書_512


「伏見義民祭」に出席して、伏見に住む者として命をかけて伏見を守ろうとした7名の義民に崇敬の念をいだきます。

7名の死を無駄にしないよう今まで以上に「伏見」を大切にしながら生活していきたいと思いました。

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21:40:36 | 神社 | page top↑
勝運を授ける神様 「許波多(こはた)神社」
2008 / 05 / 17 ( Sat )
月見館から車で10分位のところに許波多神社があります。
普段、よく通る道なのですが見過ごしてしまいそうなところに石碑がありました。
080517_512.jpg

許波多神社の歴史は古く、645年(大化元年)に社殿が造営されました。
戦国時代、戦火により社殿は焼失してしまいました。
現在の神社はその後建てられたものですが本殿は重要文化財に指定されています。

木の茂る細長い参道をくぐっていきます。
080517 (2)_512

狛犬さんが出迎えてくれます。
阿形。
080517 (4)_512

吽形。
080517 (5)_512

かつて、社殿より続く東西2町の馬道で競馬(うまくらべ)の神事が行われており、「競馬発祥の神社」とされています。
また、馬頭天皇の神像があることから「馬の神社」として競馬ファンや競馬関係者の信仰を集めています。
勝運の神様としても知られています。
が、こんなご利益のある御神木もありました。
080517 (6)_512

この木のコブを擦ると癌にご利益があるそうです。

本殿。
080517 (7)_512

中には入れませんでしたが、この奥に建っている本殿が重要文化財のようです。
080517 (8)_512

この神社の名前の通り、この辺一帯を「木幡(こはた)」と呼んでいます。
地域の方にも大事にされている神社です。

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17:33:35 | 神社 | page top↑
最初は伏見にあった「即成院」
2008 / 05 / 16 ( Fri )
泉涌寺の塔頭の中に「即成院」というお寺があります。
光明山と号する真言宗泉涌寺派のお寺です。
即成院 (6)_512

「即成院」は992年に伏見に建立された光明院が始まりとされています。
平安時代の後期、関白藤原頼通の第三子橘俊綱が桃山丘陵の南端の景勝地に山荘を造営しました。
1087〜94年、山荘内に持仏堂を伏見寺とし、後にこれを即成就院jと称しました。
まず、他のお寺の山門と違い山門の上に鳳凰があしらわれています。
即成院 (5)_512

この鳳凰は平等院の方をむいているそうです。
山門をくぐると右側に「与一の手洗い所」があります。
即成院 (4)_512

平家物語の名場面「扇の的」で知られる那須与一ゆかりの寺でもあります。
寺伝によれば与一は出陣する途中、病を患い「即成院」にこもり、本尊の霊験により平癒したと伝えられています。
与一は、屋島の戦いの後、仏徳を感じて出家し、「即成院」に庵を結び、没したとされています。

奥まったところに本堂があります。
即成院 (2)_512

この本堂の中に重要文化財の阿弥陀如来像と25体の菩薩像があります。
極楽から雲に乗って現世に」降りてくる様子を表しています。
来迎の様子を絵で表しているものはたくさんあるそうですが、「即成院」のように立体で表したものは、大変珍しいそうです。
またこの本堂と「即成院」」の中にある地蔵堂を約60メートルの橋でつなぎ、その橋の上をお面や金襴の衣装をつけて渡る「二十五菩薩お練り供養法要」をされるお寺としても有名です。
地蔵堂
即成院 (3)_512

お練供養は、十月の第三日曜日に行われています。
いつも新聞の記事などに載っているので行ってみたいと思っていますが、その頃はどうでしょう行けるかな?

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21:38:51 | 寺院 | page top↑
花の寺「勧修寺」
2008 / 05 / 15 ( Thu )
月見館から車で20分ぐらいのところに「勧修寺(かんしゅうじ)」というお寺があります。
900年、勧修寺は、醍醐天皇が母の菩提を弔うために天皇の等身大の千手観音を安置したのが始まりとされています。
門跡寺院として栄えましたが、応仁の乱で堂塔が焼失しました。その後、江戸時代に入ってから復興されました。
山門をくぐるとすぐに宸殿があります。江戸時代初期の御所の建物です。
宸殿_512

宸殿 (2)_512

宸殿から書院に出ると一気に視界が開けます。
勧修寺庭_512

氷室池(ひむろのいけ)を中心とした庭園が見渡せます。
ちょうど杜若(かきつばた)と睡蓮(すいれん)が奇麗でした。
勧修寺氷室池_512

鯉も泳いでいました。
勧修寺氷室池 (3)_512

杜若の紫と白と黄色の三色と睡蓮のピンク
勧修寺氷室池 (2)_512

睡蓮は、朝に花が開き夕方しぼむのでスイレンのスイは睡らしいです。
睡蓮_512

睡蓮も咲いているというより泳いでいるみたいです。
睡蓮 (2)_512

紅葉も一本だけ真赤のがあったのです。
勧修寺紅葉_512

氷室池の向こうに観音堂が建っています。
観音堂_512

微笑みを浮かべておられる観音様。
観音様_512

優雅な気持ちになれるお寺でした。

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20:37:37 | 寺院 | page top↑
神社の狛犬「阿(あ)と吽(うん)」
2008 / 05 / 14 ( Wed )
「阿吽の呼吸」とかよく言いますが、神社の狛犬にも阿と吽があることを私は、恥ずかしながら最近知りました。
阿吽は、仏教の呪文(真言)の一つだそうです。
梵字に於いて、は口を開いて最初に出す音、は口を閉じて出す最後の音で、そこから、それぞれを宇宙の始まりと終わりを表す言葉を意味しているらしいです。
狛犬や仁王像、沖縄のシーサーなど宗教的な像に阿形と吽形で一対になると聞き、早速、月見館の近くの狛犬のの写真を撮って来ました。
金札宮の本殿の中の狛犬は、小さいのですがとても存在感のあるものでした。
金札宮狛犬阿形。
金札宮阿形_512

口に中が赤く、作られた当初は、きれいな彩色がほどこされていたのが伺えます。
金札宮狛犬吽形。
金札宮吽形_512

小さくても魔除けの役割を十分果たせる怖さのようなものがありました。
金札宮屋外狛犬阿形。
金札宮阿形 (2)_512

金札宮屋外狛犬吽形。
金札宮吽形 (2)_512

御香宮狛犬阿形。
御香宮阿形_512

御香宮狛犬吽形。
御香宮吽形_512

城南宮狛犬阿形。
城南宮狛犬阿形_512

城南宮狛犬吽形。
城南宮狛犬吽形_512

それぞれの狛犬に個性があるのだなあと感じました。
これから神社に行って狛犬を見る楽しみが増えました。

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21:27:26 | 神社 | page top↑
10メートルのお釈迦さま「戒光寺」
2008 / 05 / 13 ( Tue )
泉涌寺の塔頭のひとつに「戒光寺(かいこうじ)」というお寺があります。
戒光寺 (2)_512

山門を歩いて行くと10メートルの仏様、どうぞお参りください。という看板が出ています。
看板_512

この戒光寺の御本尊は、重要文化財の釈迦如来です。
戒光寺_512

鎌倉時代の運慶(うんけい)・湛慶(たんけい)の父子の合作で寄木造りの極彩色の木彫りの仏様です。
首からうえの病や悪いことの身代わりになってくださるらしいです。
昔は、大きな仏像を「丈六」と呼んだ事から「丈六さん」として親しまれています。
戒光寺 (3)_512

大きなお釈迦さまでした。
残念ながら撮影禁止のため写真を撮ることができませんでした。
また、本堂の前に弁財天が祀られており、お金の融通をしてくださる神様だとか。
弁財天_512

そんなに大きくないお寺にこんな大きな仏様がいらっしゃたとは、知りませんでした。

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22:16:30 | 寺院 | page top↑
「和」スタイル宴会 −伏見料理飲食業組合八十年記念ー
2008 / 05 / 12 ( Mon )
この頃は、いろんなスタイルの宴会をお受けするようになりましたが、今日は、昔ながらのというか純日本風のご宴会をさせていただきました。
主催された伏見料理飲食業組合様のご了解を得てブログに書かさせていただくことにしました。
記念式典の会場とご宴会の用意が整いました。
大広間_512

ご宴会が始まる前の張りつめた緊張感が私は、好きです。
今日は、お祝の御席ということで祇園甲部の芸妓さん、舞妓さんによる祝舞が舞われました。
祝舞_512

祝舞 (4)_512

祝舞 (2)_512

祝舞 (3)_512

今日は、お三味線に加え、太鼓と笛の鳴らしものも入りました。
太鼓_512

伏見は、お酒どころですので鏡割りがされました。
鏡割り_512

乾杯は、当然「伏見の清酒」
宴もたけなわ
宴会_512

御座敷ならではの「膝を突き合わして」とか「さしつさされつ」と言うか、「和」の宴会スタイルのコミニュケーションが取られます。
舞妓ちゃんもちょっと和んで来ました。
舞妓 (2)_512

約2,3時間の宴会もお開きとなりました。
舞妓ちゃんお疲れ様でした。
舞妓_512


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23:21:03 | 旅館のこと | page top↑
ここにもありました新「善光寺」
2008 / 05 / 11 ( Sun )
5月8日のブログでも桃山の[善光寺]を紹介しましたが、泉涌寺の塔頭にもありました。
「善光寺」
新善光寺_512

新善光寺 (2)_512

新善光寺 (3)_512

後嵯峨天皇が長野県の善光寺の阿弥陀如来を模刻させたものを本尊としています。
だから、「新善光寺」の名前が付いているそうです。
こじんまりしたお寺ですが、泉涌寺七福神めぐりの一つになっています。
一月の成人の日には、七福神めぐりの人がたくさんお参りに来られます。
大きなしだれ桜の木がありました。
新善光寺しだれ桜_512

日本全国に「善光寺」という名前が付いている寺院は、百近くあると言われています。
如何に善光寺信仰が盛んだったかがうかがえます。
また、交通の便が良くなった現代では長野県の善光寺さんまで京都から日帰りしようと思えばできる距離ですが、当時の京都から長野県の距離の間隔は、今から想像できないぐらい遠いものだったことでしょう。

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00:07:23 | 寺院 | page top↑
写経道場 「雲龍院」
2008 / 05 / 10 ( Sat )
泉涌寺の塔頭「雲龍院」を紹介します。
泉涌寺の大門のずっと奥の方に「雲龍院」があります。
雲龍院山門_512

「雲龍院」は、1372年に後光厳天皇により建立されました。
その後、1389年に「雲龍院」の隣に「龍華院」が後円融天皇により建立され、両院で写経が行われるようになりました。
応仁の乱などで焼失したりしましたが、雲龍院と龍華院が合併して「雲龍院」となり、後水尾天皇の援助により1639年に再建されました。
参道。
080510 (2)_512

080510_512.jpg

鐘楼や鎮守社があります。
雲龍院鐘楼_512

鎮守社_512

残念ながら、本堂「龍華院」は、来年の1月頃まで屋根の葺き替えのため覆いが掛かっています。
「龍華院」の屋根は杮(こけら)葺きで竹の釘でうちつけてあり、美しい曲線の雅な屋根と言われています。
本堂の外観は、見ることはできませんが本堂内部は、拝観することができます。
また、写経(¥1,000抹茶付)もできます。
「走り大黒天」、「悟りの窓」、「迷いの窓」など、静かで奥の深いお寺です。
今日も早朝に行ったので拝観することができなかったので次は、拝観できる時間に行きたいと思います。

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伏見の和菓子の老舗 「富英堂」
2008 / 05 / 09 ( Fri )
京都伏見の和菓子の老舗と言えば「富英堂」さん。
1894年(明治27年)に創業されたそうです。
富英堂_512

明治32年生まれの伏見で育った私の祖母は、生前中、富英堂さんのお菓子を買ってくると「富英堂さんのんか?やっぱりおいしいなあ。」と言いながら伏見の話をしながらお菓子をいただくのを楽しみにしていました。特に、伏見を誇りに思っていた祖母にとって、伏見育ちの「富英堂」さんは特別の和菓子屋さんだったようです。
伏見の独特の文化を生かした伏見ならではのお菓子を作りつづけておられます。
お酒の瓶の形をした懐中ぜんざいは、私の子供のころからなじみのあるものです。
今もお店に陳列してあり、もちろん現役のお菓子でうれしくなります。
また、「酒まんじゅう」や「えがお」というお菓子は富英堂さんの名物お菓子です。
店内も昔ながらの雰囲気があります。
富英堂 (2)_512

使い込まれたたくさんのお菓子の型が並んでいます。
お菓子型_512

何と言っても目を引くのはこの「えがお」
えがお_512

私もいつもこんな笑顔でいたいと思います。

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18:05:02 | お店 | page top↑
桃山の善光寺 「龍雲寺」
2008 / 05 / 08 ( Thu )
月見館から歩いて10分、JR奈良線桃山駅から歩いて、3分ぐらいの所に桃山善幸寺とも言われる「龍雲寺」というお寺があります。
桃山駅から3分ぐらい歩くとこの石柱が建っています。
龍雲寺石柱_512

1715年に開山されたお寺ですが何回かの移転のあと、1894年にこの場所に移って来ました。
龍雲寺山門_512

龍雲寺は、関ヶ原の戦いの際、伏見城で亡くなった鳥居元忠以下300余名の菩提寺とするなど、徳川幕府と関連の深いお寺です。
龍雲寺本堂_512

このお寺が「桃山善光寺」と言われるには、1796年、信州善光寺の阿弥陀如来の御開帳がこのお寺でされ、信徒からの強い要望でその像の模刻をすることになりました。
善光寺と同じ仏様を祀っていることからその後「桃山善光寺」と呼ばれるようになりました。
あまり人が通らないようなところに建っているお寺です。
山門をくぐるときれいに手入れされたお庭があり、鐘楼もありました。
龍雲寺鐘楼_512

朝の日差しに映えて、てっせんがとってもきれいでした。
てっせん_512


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御寺(みてら) 泉涌寺
2008 / 05 / 07 ( Wed )
以前、泉涌寺を紹介したときは、「早朝の泉涌寺」だったので泉涌寺の山門の中や建物を紹介することができなかったので再度紹介したいと思います。
皇室の菩提寺である泉涌寺は、日本で唯一、御寺(みてら)と尊称されています。
泉涌寺は、真言宗泉涌寺派の総本山です。
824年に空海が草庵を結び、法輪寺としたのが起源です。
その後、1218年月輪大師(がちりんだいし)が泉涌寺と改めて大伽藍を営みました。
泉涌寺山門_512

泉涌寺は、個性的な造りのお寺だと思います。
それは、山門をくぐると普通は階段を上がったり、水平に進んで伽藍があると思うのですが、ここ泉涌寺は、山門をくぐると参道下って行くのです。伽藍を見下ろす形の造りになっています。
泉涌寺参道_512

でも、坂を降りて行くと急に仏殿が大きくなったように自分に仏殿が立ちふさがります。
泉涌寺仏殿_512

創建当時の伽藍は、応仁の乱で焼失し、この仏殿は、1668年、徳川家綱により創建されたものです。
泉涌寺仏殿 (2)_512

仏殿には、鎌倉時代の運慶作の三体の御本尊が安置されています。
残念ながら写真は、撮影禁止のため撮れませんでした。
三体の御本尊は過去、現在、未来、三世にわたって願いを聞き入れてくださるそうです。
仏殿の後方には舎利殿が建っています。
泉涌寺舎利殿_512

舎利殿の奥に皇室が泉涌寺にお越しになられた時に休まれる御座所が建っています。
御座所_512

御座所の中に天皇陛下がお越しになられたときにお入りになられる「玉座の間」からの庭の眺めもきれいです。特に秋の紅葉の頃がきれいです。
玉座_512

泉涌寺は、皇室の菩提寺として戦後まで700年以上、門を閉ざしていたお寺です。
観光客を受け入れてから60年ほどです。
京都の人でも、いまだこのお寺には入れないと思っている人がいると聞きます。
そのためか、泉涌寺は、京都市内のお寺の中でもひっそりして俗化してない所です。
いつ行っても広い空間と静けさが心を休めさせてくれるお寺です。
紅葉の頃、玉座からのお庭の写真を撮りに行こうと思います。



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六地蔵 「大善寺」
2008 / 05 / 06 ( Tue )
「六地蔵」で有名な大善寺さんは、月見館から車で10分ぐらいのところです。
浄土宗のお寺です。
705年藤原鎌足の子、定慧によって創建されました。
山門をくぐると大善寺の広い敷地の奥の地蔵堂(六角堂)に地蔵菩薩立像が安置されています。
六地蔵お堂_512

地蔵菩薩立像は、小野篁が作ったものと伝えられています。小野篁は、平安時代の初め852年48歳の時に熱病を患い意識を失って、地獄に落ちた人々の姿を見ました。その時、生身の地蔵尊に出会いました。地蔵尊は、地獄に落ちた人々を救っていました。地蔵尊は、小野篁に「この地獄だけでなく、飢餓、畜生、修羅、人間、天上、など六道の迷いの世界を巡りながら縁ある人々を救っている。すべての人を救いたいが、縁のない人を救うことはできない。残念な事だ。貴方はこの地獄の苦しい有様と地蔵菩薩の事を人々に知らしめてほしい。」と聞いて蘇った小野篁は、木幡山から一本の桜の木を切り出して、六体の地蔵菩薩像を刻みこの地にお祀りしました。
以来、ここを六地蔵と言うようになりました。
六地蔵尊_512

その後、1157年平清盛が西光法師に命じ、京都の街道の入り口六ヶ所に六角堂を建て、そこに一体づつ六地蔵尊を祀りました。西光法師が最初に六地蔵を巡拝されたのが、六地蔵巡りの始まりです。
毎年8月22日、23日に六地蔵を巡って、それぞれの六地蔵でお札を受けそのお札を玄関に吊るすと無病息災、家内安全の御利益があると伝えられています。

お寺の前に立っている道標。
道標_512

「ひだり ふしみみち」 「みき 京みち」 「ひたり おうはく(黄檗) うち(宇治)道}と三面にきざまれています。 
ここ六地蔵は、今も昔も交通の要所です。

山門横のボードに良い言葉が書かれていました。
080506_512.jpg

心も清らかになるようなきれいな御姿のお地蔵さまでした。

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1200年の歴史「駈馬神事」〜藤森際〜
2008 / 05 / 05 ( Mon )
今日、5月5日といえば、菖蒲の節句。
菖蒲の節句発祥の地と伝えられる藤森神社の藤森祭の日です。
藤森神社は、京都駅からJR奈良線で8分、JR藤森駅下車、徒歩5分。月見館から京阪電車で10分、京阪墨染駅から徒歩5分のところにあります。
以前も藤森神社を紹介しましたが、藤森神社は、1800年前に神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社です。本殿は、1712年に中御門天皇より賜ったお社です。
藤森神社は、12柱もの御祭神を祀る神社で武神を祀る神社である事から「勝運」の神様として有名です。
0505藤森神社_512

いつもは静まりかえっている参道も、今日は、藤森祭の駈馬神事の馬場となり、大勢の人で埋め尽くされていました。
まず、駈馬神事のお祓いと駈馬時代行列が執り行われます。
藤森祭駈け馬 (4)_512
0505藤森祭_512

藤森祭駈け馬 (5)_512

いよいよ始まります。
藤森祭駈け馬 (3)_512

駈馬の技は、7つあります。
1.手綱潜り
2・逆乗り
藤森祭駈け馬 (7)_512

3.矢払い
4・横乗り
5.杉立ち
6.藤下がり
藤森祭駈け馬 (6)_512

7.一字書き
藤森祭駈け馬 (2)_512

とても迫力があり、見ごたえがありました。
藤森祭のもう一つの見どころは武者行列です。
朝渡(あさわたり)皇馬(こんま)七福神(しちふくじん)払殿(ほって)の4つの行列が氏子地区を巡行します。(武者行列 写真提供 宇野 悠紀子さん)
藤森祭り05_512

武者行列_512

武者行列 (2)_512

藤森神社のお祭りは、規模の大きなお祭りです。
お祭りを支えるたくさんの氏子の方の氏神様を愛する気持ちが、伝わるお祭りでした。

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歯痛に効くお地蔵さん「ぬりこべ地蔵」
2008 / 05 / 04 ( Sun )
JR稲荷駅から徒歩5分のところに「ぬりこべ地蔵」があります。
0504ぬりこべ地蔵_512

歯痛平癒にご利益があると親しまれているお地蔵さんです。
なんでも”京都市伏見区 ぬりこべ地蔵様”この宛名だけで郵便物が届く有名人らしいです。
高さ約1メートルのお地蔵様が安置されているお堂には、歯痛の平癒を祈るはがきや手紙が山積みされています。
このお地蔵さんは、かつて摂取院というお寺の四方を土で塗り込めた御堂に祀られていたので「塗り込め」から「ぬりこべ地蔵」の名がついたらしいです。
0504ぬりこべ地蔵 (3)_512

歯に限らず、体の痛みや病気の治療を願う人もたくさんいらっしゃいます。
お地蔵さんの前の石を擦り、その手で患部を擦るとご利益があるとされています。
歯痛が治った人は、お堂の格子に塗り箸を結びつけてお地蔵さんに御礼いたします。
6月4日の「虫歯予防デー」には毎年、法要が行われ、参列者に歯ブラシが配られます。
0504ぬりこべ地蔵 (2)_512

とっても優しいお顔のお地蔵さまでした。

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泉涌寺塔頭「来迎院 らいごういん」
2008 / 05 / 03 ( Sat )
「来迎院」は泉涌寺の塔頭のひとつで、806年に弘法大師が開山したお寺です。
このお寺は、泉涌寺の奥隣にひっそりと建っています。
小川にかかった橋の前の山門をくぐり、階段を登って行くと来迎院の荒神堂があります。
0503 (3)_512

荒神堂には、鎌倉時代の荒神坐像が安置されているとか。
荒神さんと言うと火の神様、特に台所の神様として馴染みがあります。
私が幼少の頃、三宝荒神さんを台所に祀り、そのお社の横に伏見人形の布袋さんが何体かがならんでいたのを思い出します。
昨日、紹介した「伏見人形の丹嘉」さんの土のお人形の布袋さんです。今は、あまり見かけなくなりましたが、ここにはたくさんの御用を終えた布袋さんがいらっしゃいました。
0503_512.jpg

布袋さん_512

また山門から荒神堂の途中にある空海上人の像のまわりを願い事を書いた石を持って三回廻ると願うがかなうそうです。
0503弘法大師_512

ここは、隠れた名所と言われています。
秋は、紅葉、1月は七福神めぐりの四番札所として有名です。
また、秋に行きたいと思いました。

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18:30:53 | 寺院 | page top↑
伏見人形 「丹嘉」
2008 / 05 / 02 ( Fri )
伏見稲荷大社の門前土産として、江戸時代以来、土人形を作り続けて250年の老舗の「丹嘉」さんへいってきました。
丹嘉_512

伏見人形は、稲荷山の土で作られた日本で最も古い郷土玩具です。
全国で90余種以上ある土人形のなかで、伏見人形の系統をひかないものはないと言われるほど日本の土人形のルーツといわれています。
「丹嘉」さんの赤いのれんをくぐるとたくさんの味のある人形たちが迎えてくれます。
伏見人形_512

こんな大きな人形も
0502伏見人形 (2)_512

こちらはだいぶ古そうです。古くなってくる方が絵の具の色に味がでてきます。
0502伏見人形 (4)_512

往時の風俗、伝説を人形に表現したものが殆どで、ユーモアがあり、豊かさがあります。
月見館にも船に関係する伏見人形を飾っています。
伏見人形 (3)_512

外輪船が宇治川を往来していた頃の伏見人形だと思います。
今日、「丹嘉」さんでまた一つかわいい伏見人形を買ってきました。
まねき猫ではなく「まねき狸」です。
招き狸_512

たくさんのお客様を招いてくれることと思います。


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北向不動院(きたむきふどういん)
2008 / 05 / 01 ( Thu )
昨日、ブログに書いた安楽寿院のすぐ近くに「北向不動院」というお寺ががあります。
古地図にも北向きに載ってます。(月見館資料室蔵)
古地図不動尊_512

天台宗の単立寺院で「北向き不動」の名で親しまれています。
北向不動院山門_512

1130年、鳥羽上皇の勅願により鳥羽離宮内に創建されました。
応仁の乱の兵火などの災害に遭いました。
その後、二品親王済深(にほんしんのうさいしん)の尽力により、1712年、東山天皇の御殿を移し、本殿とすることができました。
本堂0501_512

そのため宮殿風の構えです。
御本尊の不動明王(重要文化財)は写真を撮ることができませんでした。
この中にいらっしゃいます。
0501_512.jpg


北向不動院と俗称するのは、鳥羽天皇の息災延命祈願のため、北の御所に向かって建てられたからだそうです。
今も鳥羽天皇の誕生日の1月16日には”一願の護摩”が焚かれ、この日にお参りすると一つだけの願いを必ず聞いてくださるそうです。
来年の1月16日、お参りに行きたいと思います。

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